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ま、タイトル通り「あったってなくたって大してかわりゃしない(by古今亭志ん朝師匠)」blogであります(苦笑)。

本日、歌舞伎鑑賞後につき…。

空耳アワー」はお休みいたします。

久しぶりの歌舞伎座。配達物数が少なかったこともあって結構楽しみにしていた。

とは言うものの、もう一つのお目当てであった「歌舞伎そば」は客が満員に近い状態だったため入れず、弁当は私の直前で売り切れ…と、食方面では散々。仕方なく、三階にあるカレーショップでカレーライスをいただくことに。ルーは薄いが満足の行く辛さでした。

で、食う方はこの辺にして…今回は一幕芝居、狂言、長編がそれぞれ一本ずつ。
いずれも先代の中村吉右衛門に因んだ演目(狂言は違ったかな、確か)という趣向である。
一幕芝居「壇浦兜軍記 阿古屋」は壇ノ浦の戦い直後、平家追討の任についた秩父庄司次郎重忠(ちちぶのしょうじじろうしげただ。「畠山重忠」って言った方が分かる方も多いか?)は、五條坂一の遊君(つまり遊女ですね)・阿古屋を捕らえ、彼女と関わりがあるとされる平家の武将・悪七兵衛景清の居所を聞き出そうとする…という内容。このときに、拷問ではなく、彼女の得意とする楽器を演奏させるというのがこの話のミソというわけ。
当代の吉右衛門丈が重忠、阿古屋は極めつけとも言える坂東玉三郎丈というかなり豪華な役者陣に加えて、重忠のあまり有能でない部下・岩永左衛門の「人形振り」という、さながら人形となって操られているような動きがとても面白くて印象的だった。
狂言「身替座禅」は、とある間抜けな大名が浮気しようとしてその口実に座禅をするから…と何だかんだで女房を丸め込むのだが、その身替りに立てた太郎冠者がばれてしまい…というアメリカのスラップスティックコメディにもありそうな(ただ、向こうには座禅という口実はないだろうけど)筋立てのお話。市川団十郎丈は元々口跡がそれほどはっきりしているわけではなく、ましてや昨年白血病で倒れて復帰して間もない舞台だったのだが、全く危なげない形で間抜けな大名・山蔭右京を好演していた。女房・玉の井役の市川左團次丈のドスの利いた声の女房が何かやるたびに笑いが起こっていたのがすごくおかしかった。役者は声なのだな、と改めて実感。
長編「二条城の清正」は、亡き太閤秀吉の嫡子・秀頼を命に代えても守り抜こうとする清正の忠義を描いた物語。こういう無骨な男を演じさせたら吉右衛門丈の右に出る人は恐らく今の歌舞伎界では見当たらないだろうと思う(強いて挙げるとするならば松本幸四郎丈か?)。殊に、まるで戦に赴くように部下たちに臨戦態勢を取らせてからの一連の動きは舞台上の演出と相俟って素晴らしかった。
後半やや物語からすればだれた部分も見受けられたが、役者陣の熱演と舞台美術の見事さで飽きさせなかった。
それにしても、先代の吉右衛門という人はやはり凄いと思う。何せ、英雄豪傑の役を多く演じたが故に時の劇作家に書いてもらった芝居がこの「二条城の清正」だったというのだから。その後も加藤清正はこの人にとっての当たり役となったとか。まさに、役者だけでは歌舞伎は成り立たないという好例ではなかろうか。