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ま、タイトル通り「あったってなくたって大してかわりゃしない(by古今亭志ん朝師匠)」blogであります(苦笑)。

「Weeping in the Rain」(柳ジョージとレイニーウッド)

よく考えたら、つくづく更新不精しているもので、このコーナーを更新するのは何と約二年ぶりということなんだわさ*1

さて、今回は1977…年くらいかな?のヒット曲「Weeping in the Rain」を紹介してみます。

日本語のタイトルの方がひょっとしたら馴染があるという向きも多数おられることでしょうな。実際、この曲は元々はタイトルはもとより歌詞も全部英語。
当時、日本では「ロックは英語で歌うんだ!」という派閥(私はこういう一派を便宜上「ロック原理主義者」と呼んでおります)と「日本人が日本語でロックを歌って何が悪い!」という派閥が…と言うより二つの大きな流れみたいなものがありまして、まぁその「ロック原理主義者」の大将ってのが、ついこの間みっともないことでおロープを頂戴しちゃった内田裕也っておっさんでして(失礼)。
で、もう一つの「日本語によるロック」を実践していたのが「はっぴぃえんど」ってバンドで、実はこの内田裕也にしろはっぴぃえんどにしろ、その大元を辿ってみると、グループ・サウンズ略してGS(まぁ、内田裕也の場合はもっと古いところまで遡りますが)に行き着くというのは何と言う歴史の悪戯なんでしょうかねぇ。

で、何故英語で歌われていたはずのこの曲が日本語になったかというと、この曲がドラマに使われたからなんですよ。

いや、ただドラマに使われたんじゃ英語のままでいいだろう?という風にお思いの向きも少しはいらっしゃるでしょう。
そこがあれです、えぇと、その…素人の赤坂プリンスホテル…じゃなかった、素人のあかさたなはまやらわ…じゃなかった、えぇと…あぁ、思い出した、素人の浅はかさってもんですよ。
このドラマ「死人狩り(しっかし、すげぇタイトルだよなぁ…)」を演出したのは、押しも押されぬ名監督・故工藤栄一氏。東映期待の監督として、時代劇映画が斜陽になりつつあった1960年代に彗星のごとく現れ、つい最近三池崇史監督によってリメイクされた「十三人の刺客」を手がけ、「集団時代劇」なる新ジャンルを確立した名匠であります。
1970年代に入って、映画産業そのものが斜陽化すると、その活躍の場をテレビに移し、「必殺シリーズ」などで数多くの傑作を生み出した、その工藤監督という方、自らの映像表現には並々ならぬこだわりを持っておられました。
これは、「必殺シリーズ」などで特に顕著なんですが、歌入りの音楽を入れるタイミング、それに合わせた画面展開の巧みさ(曲のワンコーラスが終わると同時に殺しが終わって人知れず去ってゆく殺し屋…みたいなシーンは本当に痺れます)は、真似しようったって絶対に真似の出来ない彼ならではのこだわりが感じられます*2

その工藤監督のドラマに使ってもらったこの曲、この曲が流れるシーンを試写の時に見ていた工藤監督が、事も無げにこう言ったんだそうですね。
「違う…何か違う」
何がどう違ったのか?それは、
「歌詞が英語だと何が何だか分からん」
ということだった、ってわけなんです。
日本語だったらまぁ、ドラマの中であろうと歌詞は聞き取れるし意味も分かろうってなもんですが、英語だとそうは行かない。一々こんな歌詞だっけ、あぁこの単語は、この文法は…なんてんでドラマ見ながら英和辞書を首っ引きで見なきゃならない(そんなヤツぁいないか)。
そうなると、せっかくいい曲であるにも拘らずBGMに毛の生えたような扱いにしかならなくなってくる。
どこの誰だか分からないような連中の曲だが、せっかくオレの演出したドラマに使われたんだから、単なるBGMみたいな扱いにはしたくない。
…とそこまで工藤監督が考えたのかは定かじゃぁありませんが、彼は柳ジョージさんらレイニーウッドの面々を集めてこう言ったんですね。
「すまんが、このシーンで流れているウィーピング何たらって曲、日本語でレコーディングし直してくれないか?」
言われた方はびっくり仰天。元々英語で歌うことに何ら抵抗の無い「ロック原理主義者」である彼らにとっては、青天の霹靂と言っても過言ではない注文だったのです。
そもそも、柳ジョージさんは横浜出身。いろんなミュージシャンとのセッションを経て、横浜を拠点としていた渋いブルーズ・バンド「パワーハウス」でベーシストとして活動し、パワーハウス解散後、一緒にライブをやっていたGSバンド「ザ・ゴールデン・カップス」に加入、解散まで在籍していたというキャリアの持ち主でした。
このゴールデン・カップスというバンドがまた曲者で、所謂日本語で吹き込まれた歌謡曲っぽいシングル曲は一切ステージでやらない、やる曲といえば渋いR&Bやハード・ロック…言ってみれば「歌謡曲の1ジャンル」と後の心無いロックファンに勝手に位置づけられたGSシーンの中で、かなり実力志向のバンドであり、「ロック原理主義」を知らず知らずのうちに実践していたバンドだった、とも言える訳なんですよ*3
そんな彼、ゴールデン・カップス解散後は普通に会社勤めをしていたんですが、どうしてもまた音楽をやりたくなって、持っていたギター(彼はベーシストでしたが、元々はギタリストだったようですね)をしばらくぶりに引っ張り出したらあちこちガタが来ていた。そこで知り合いのギター修理屋さんに直してもらおうと思ったんですが、その知り合いのギター修理屋さんが広島に引っ越してしまったので、新幹線に乗って広島まで行って、ようやっと直してもらってその帰りにとあるライブハウスに寄ったら、そこで名前も決まってなさそうなバンドが演奏してたんです。
「何だか面白そう…」
と思った彼は、そのバンドの楽屋に押しかけて、出し抜けにギターケースのジッパーを外し始めたのでした…。

「やらないか」

…ではなくて(苦笑)、まぁ詳しいことはよく分かりませんが、彼のやろうとしていた音楽に近いものを感じ取った、ってことなんでしょうね。
そこで快諾されたもので、バンド名は、柳ジョージさん自身の経験…ロンドンに滞在していた頃、泊まっていたホテルの窓から見えた「雨に煙る森」…に因んで「レイニーウッド」となった、ってわけなんです。

とは言え、デビューして二、三年は売れなかったんですよ。
日本語で歌えば済むところを英語で歌う、ってのはやはり一般受けし難いものがありますし、ましてや当時はフォークブーム。ロックなんてのは頭の悪い不良が聴くもんだ、なんていう誤った先入観が蔓延していた時期でした。
そんな彼らだけに、今更日本語で…というのは酷な話かと思いきや、意外にも柳ジョージさん自身は、
「日本語?いいですよ」
とあっさり承知しちゃったんだそうですよ。
寧ろ、この曲に関していうと、日本語の歌詞も英語の歌詞も違和感無くはまっておりまして、これに激しく振る雨音のようなピアノとかきむしるようなギターソロが何とも言えない鮮烈な印象を残してくれるんですよ。加えて、柳ジョージさんのヴォーカル!もうね、何と言うのか、こういう味のあるヴォーカリストって日本にそんなにいませんよ。強いてあげれば矢沢栄吉さんくらいかなぁ…そんな気がします。もうね、月並みな表現で何なんですが、声がロックなんですな。いや、ロックというか、ブルーズですかね。
この曲以降、レイニーウッドは全編日本語のロック(一部英語も混ざる場合あり)及び全編英語のロック(こちらは日本語は入らない)両方を歌いこなせる稀有なグループとして、一躍脚光を浴びることとなってゆくわけですが、それはまた別の機会で述べることと致しましょう。

*1:すみません、あまりの不精さに口調が変になってます

*2:歌入りの曲が絡んだ演出というと、劇中でやたら「ULTRA SEVEN」を使っていた満田禾斉(ホントは一字に収まってて「かずほ」って読むんですが、うちのPCは頭が悪くて…。)を思い出しますね

*3:尤も、今日日の若い連中は、「何でわざわざ英語で歌うわけぇ?」なんてぬかしやがるんでしょうなぁ…そんなに分かりやすい、単純な内容のものがいいのか?そんなにみんなにちやほやされたいのか?そりゃ単なるミーハー志向だろうがよ!