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茂木健一郎氏、カジサック糾弾の宇野常寛氏を支持「怒ったのは当然」
我が盟友・むろかつ氏のブログ(キングコング梶原「ごとき」に安直にいじられたら、そりゃ誰でも怒るわ(失笑) | 人生、成り行き)にて取り上げられた話題について、個人的には脳科学者という随分とニッチな学者さんの割には結構出たがりというイメージしかない茂木氏がツッコんだというお話。ただ、今回の話については「ごもっとも」とも思うことがかなりあった。
「いじりとかが笑いの文化の一部としてあるのは多様性としてありかとは思うけれども、それがすべてになると何だかなあと思う」
「均質の日本の社会を前提に、これがメジャーだ、これがおれたちの笑いだ、それが分からないお前たちはセンスが悪いとかノリが悪いとか押し付けてくるのはいかがなものか」
「センスがいい悪いじゃなくて、(中略)どちらがどちらよりも上だとか下だとかないけれども、どちらも、どちらに合わせたり付き合ったりする筋合いもない。そんな当たり前のことを、残念ながら繰り返し確認しないといけないのかと思う」
一々御尤もだと思う。最近はテレビのトーク番組とかで無理にでも面白い部分を入れなくてはならないような傾向がかなり強く、自然そういう「いじり」みたいなものも多くなってきてるけれども、場合によっては「これ『いじり』なくて『いじめ』なんじゃないか?」というような類のトークも決して少なくはない。
「いじり」と「いじめ」。一文字違うだけで大変な違いになる。ワシも小学校から中学校くらいまでそんなことに悩まされてきた。そんなことをしている連中はおそらく今回のカジサックとやらみたく「絡んでやってるだけありがたいと思え」みたいに思っている。いや、断言させてもらいますよ、過去の恨みを込めて。
「その一点しか考えていない」ってね。
奴らからすればいじられている人なんて所詮その程度の扱いでしかないんです。そんな奴らにその程度しか意識されない…まぁいいですよ、と。
これは今だから言えるのかもしれないが、まだガキだったワシにはそう思うことが難しかった。今ならはっきりと、自信をもってこう思えますよ。
「だったらそれで結構だ。俺だってお前らなんかはなから気にもしちゃいないぞ」と。
まぁイベントの中でのことだったので線引きが非常に難しいところではあるのかもしれない。でも、必要以上に面白くする必然性ってそんなにない、よね?あまり面白くないというのは論には及ぶまいが。
心しておかなければならないのは二番目に挙げた文かと。これはおそらく人付き合いでもそうだし、番組制作(まぁワシはそんなことに関われるはずもないんだが)でも心しておかねばならないんでないかなぁと思う。